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  私にとって絵を描く事は、良く死ぬための準備作業である。自分が生を受けたときから、私の中に死は備わっていて、死が無ければ生まれてさえいない。自分を構成する一つのエレメントであるにも関わらず、わたしは死を理解できない。あるいは、理解など不可能なのであろう。しかし、私は自分の死を確立したい。誰かから教わるのではなく、科学的な知識を得るのではなく。私は自分の死を定義したい。

  言葉は言葉でしかない。いつも空を切る。確実に捉えられない。表現しようとすること以上に過剰になるか、あるいはそれ以下として欠乏するか。まるで体にそぐわない椅子には深く腰掛けられないように。しかし絵画に於いては、言葉ではないパーツを組み立て、自分の心に到達する道具をこしらえる事ができる。少なくとも私が今まで出会ってきた中で、一番のツールである。

  空を見上げる。雲が泳ぐ。足を前に進める。雲も私も、移り変わり続けるのだろう。自分こそが風で,緑で、炎。火を持ち、緑を茂らせ、枯らせ、喉を渇かせ、雨を降らす。

  きっとそうだ。私は生き、死ぬ。しかし、私は自分自身を説得しきれていない。これは絵を描く事で培う、一生もののプロセスである。その一編を、絵画制作を通して人々と共有出来る事を、何よりも感謝している。

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